主は一人の人を選び、呼び出します。それがアブラムです。のちに、名前をアブラハムと変わりますが、彼の子孫から、イスラエル民族が生れます。この民族からダビデが生れ、イエス様が生れます。つまり、一人の人から、一つの民族が現れ、救い主イエス様が登場するわけです。
なぜ、主はアブラムを慣れ親しんだ生れ故郷のウルから全く知らないカナンの地に神様は向かわせたのでしょうか。その理由がヨシュア記24章2~3節で読み取ることができます。
【ヨシュア記24章2~3節】
2そしてヨシュアはすべての民に言った、「イスラエルの神、主は、こう仰せられる、『あなたがたの先祖たち、すなわちアブラハムの父、ナホルの父テラは、昔、ユフラテ川の向こうに住み、みな、ほかの神々に仕えていたが、 3わたしは、あなたがたの先祖アブラハムを、川の向こうから連れ出して、カナンの全地を導き通り、その子孫を増した。」
生れ故郷のウルは偶像崇拝していた場所でした。そこから抜け出す(救う)ために神様は介入し、アブラムを用い、カナンという約束の地を示されたのです。
【創世記12章2、3、7節】
2わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。・・・3あなたを祝福する者をわたしは祝福し、 あなたをのろう者をわたしはのろう。 地のすべてのやから(民族)は、あなたによって祝福される」。・・・7「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」
上記の2、3、7節はアブラハム契約といわれます。イスラエルは世界の祝福の基となるというのはここからきています。言い換えれば、イスラエルは霊的に大きな任務が任されています。それはイスラエルの歴史から見てもわかるのではないでしょうか。また、ユダヤ人でない異邦人の私達にもイスラエルに対する態度の取り方しだいで神様からの祝福は影響します。
さて、アブラムは財産を携え、妻と親族を連れて、全く見たことも、聞いたことも、知らないカナンの地に行きました。神様の約束に全き信頼を置いたのです。この約束を覚え、その印として主のために祭壇を築き、礼拝したわけです。
私達の人生の中で慣れ親しんだ環境から離れなくてはならない局面があるかもしれません。そのとき、神様からの召しと計画をどこまで信頼しきうるか、要になってくるかと思います。神様からの召しとは神様から導きであり、聖霊様の働きでしょう。
神の賜物と召しとは、変えられることがない。 (ローマ人への手紙11章29節)
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