カナンの地に激しい飢饉が起こりました。そのために、アブラムとその妻サライはエジプトに下ることになりました。一時的な避難所です。彼らがエジプトに入るとき、アブラムに一種の恐れが生じたのです。彼は妻のサライが美しいので、エジプトの地で自分の命が狙われると思ったのです。アブラムはサライに「君はきれい。エジプト人が心惹かれて私を殺すかもしれない。だから私の妹だと言ってくれ」と頼みます。(13節)
このようにアブラムは神様からアブラハム契約を持っているのにもかかわらず、憶病になってしまい、尻込みになったのです。(創世記12章2、3、7節 参照参照)
2わたしはあなた(アブラム)を大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。・・・3あなたを祝福する者をわたしは祝福し、 あなたをのろう者をわたしはのろう。 地のすべてのやから(民族)は、あなたによって祝福される」。・・・7「わたしはあなたの子孫にこの地を与えます」(創世記12章2、3、7節)
ここでアブラムが単に信仰的に完全に立派だから、神様は彼を選んだのではないことがわかります。また、彼の信仰の失敗は、現在の私達にも同じように持っています。目に見えるものに恐れを抱いたのです。目の前にあるエジプトの巨大さ、言い換えれば、目に見える人生の問題の圧倒さに飲まれてしまったと言って過言ではありません。それどころか神の方法ではなく、自分のやり方で解決しようとしました。
神様は誠実に約束を守られる方です。結果的にアブラムはエジプトの王から守られ、その場(王宮)から離れることができました
神の賜物を、再び燃えたたせなさい。 というのは、神がわたしたちに下さったのは、臆する霊(別訳:憶病の霊)ではなく、力と愛と慎みとの霊なのである。 (Ⅱテモテ1章6b~7節)
人を恐れると、わなに陥る、主に信頼する者は安らかである。 (箴言29章25節)