御言葉にとどまるなら・・・

聖書の御言葉の日記です。

創世記13章8~13節「アブラムとロトの分かれ」

◆創世記13章8~3節◆  13:8アブラムはロトに言った、「わたしたちは身内の者です。わたしとあなたの間にも、わたしの牧者たちとあなたの牧者たちの間にも争いがないようにしましょう。 9全地はあなたの前にあるではありませんか。どうかわたしと別れてください。あなたが左に行けばわたしは右に行きます。あなたが右に行けばわたしは左に行きましょう」。 10ロトが目を上げてヨルダンの低地をあまねく見わたすと、主がソドムとゴモラを滅ぼされる前であったから、ゾアルまで主の園のように、またエジプトの地のように、すみずみまでよく潤っていた。 11そこでロトはヨルダンの低地をことごとく選びとって東に移った。こうして彼らは互に別れた。 12アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住み、天幕をソドムに移した。 13ソドムの人々はわるく、主に対して、はなはだしい罪びとであった。

 アブラムはとロトの間で起こった両者牧者同士の争いが身内の内輪揉めに発展しないようにロトに提案をしました。それはロトに土地を選ばせることでした。アブラムはロトに土地の選択権を先に譲り、親族の長としての役割を果たしました。その後、アブラムとロトはロトは分かれて生活することになります。

 ロトはいかにも潤って肥沃のある土地の方をを選択しました。ロトは目先の損得で選んだようです。そこは人の目では(肉的には)魅力的でしたが、霊的には問題のある土地でした。ある意味、これはエデンの園エバが善悪の知識の木を選んでしまったのストリーと重なるように感じさせます。
 それに対して、見た目では良い土地ではなくてもアブラムは信仰を働かせて選ぶことができました。彼は天地万物を造られた創造主、どこまでも共にいてくださる神様を信じていたからです。カナンの地は約束の地でした。

 私達も人生の分岐点で肉体的な感覚(目と耳)だけで選択してしまう傾向があるのではないでしょうか。霊的な目と耳で思考するマインドも必要です。 

わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。
                                                                                                         (コリント人への手紙5章7節)