ダビデは兵士として、巨大な敵を相手に勇敢に戦い、信仰者としても素晴らしかった。しかし、彼の人生の中で、失敗をしたり、先行きが見えず、不安の日々を過ごし、彼の魂は気落ちし、とても弱くなることもあった。
a.主はわたしの魂をいきかえらせ・・・
そのようなダビデの魂を主は回復させ、彼の魂に新たな活力が与えられた。ヨブ記33章30節のようにまさに墓のどん底まで落とされたような魂を主は引き上げて下さ彼は彼は希望の光を見いだすことができた。
33:30 その魂を墓から引き返し、彼に命の光を見させられる。
b.み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
単に「魂をいきかえらせる」だけではなく、さらに主は彼を正しい道(新改訳では「義の道」)に導かれる。
それは、主のみ名(御名)のために、すなわち、主のみ名にふさわしく、彼が歩むためである。そこに主の御意志(動機と目的)がある。
いのちに至る「正しい道(義の道)」は決して、広い道ではない。「緑の牧場といこいのみぎわ」に向かうには、主が招く声に応答し、細い道を通る必要があるのだ。マタイ伝7章13節でキリストは次のように言う。
7:13 狭い門からはいれ。滅びにいたる門は大きく、その道は広い。そして、そこからはいって行く者が多い。
7:14 命にいたる門は狭く、その道は細い。そして、それを見いだす者が少ない。
それは私たちにも言えるのだ。牧者の声に従わず、自分勝手に道を歩んでしまえば、いのちを失ってしまうことがある。この牧者の声とは聖書の御言葉にほからない。