御言葉にとどまるなら・・・

聖書の御言葉の日記です。

主はわが牧者②

詩篇23篇2節 2  主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。 

 

繰り返しになりますが、ここでもう一度、ダビデについて再確認します。
ダビデは三千年前に登場する、イスラエルの二代目の王様です。

王様になる前のダビデの少年時代は羊の世話をしながら、牧者(羊飼い)として育ちました。イスラエルの気候は雨が少ない。だから、緑は少なく、水は大変、貴重なものになってくる。また、オオカミのような肉食動物がいつ襲ってくるか分りません。

したがって、羊の群れをそのような動物から守られなければなりませんでした。日中、羊の群れを囲いの門から出して水のほとりやなんとか生えている緑の草まで、導く必要があり、羊の囲いに帰る道中も同じです。一匹、一匹の羊の特徴や性格をよく観察し、見守らなければ羊飼いの仕事は務まりません。これはある意味、神経と体力が必要な仕事だと思います。

この少年時代の羊飼いとしての経験でダビデは羊の特性というものを痛いほど十分に知り尽くしていました。ダビデのそのような少年時代の生活背景から生まれた詩です。

 

2  主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。 

前回、1節について書いたが、主なる神様と私たち人間の関係は、「牧者」と「羊」の関係のようだとダビデは語っています。

 

創世記1章から2章にかけて、神様は人間をに美しい「エデンの園」が置きました。まそこには豊かな水と青々とした草原や木とさまざまな鳥と動物があり、いのちが満ちあふれていました。すべて造られたもの(被造物)がを賛美していたにちがいありません。

 

この「緑の牧場」と「いこいのみぎわ」とは、このエデンの園を暗に示しているように私には思えるのです。

 

残念ながら、創世記3章でアダムとエバに罪が入り、結果的にエデンの園から私たち人間は追い出されました。

 

ある意味、人間がもう一度、エデンの園に向かって歩むことが聖書のテーマになっている。良き牧者はその途上で悪しき環境から、悪しき者から、悪しき働きから私たちを守り、導いてくださる。

 

この牧者とはイエス・キリストです。。私たちはただ、イエス様が示し、招いてくださる道に従うだけです。そのとき、私たちは新しくいのちを得ることができます。エデンの回復は黙示録に出てくる千年王国や新天新地という形にあらわれます。